社会人入学・3年次編入|受験案内

社会人学生 入学体験記

社会人学生の入学体験記です。

「出会い」歴史学コース3年 Oさん(2018年入学)

 私のように40年余り社会人生活を送り、これまでの人生に区切りをつけて入学を目指す人の目的は様々ですが、誰もが持っているものは学びたいという意欲ではないでしょうか。私もその気持ちだけはあったのですが、入学試験に臨む時点で、具体的に大学で何を学び研究したいかという明確な目標を持っていませんでした。あいまいな志望理由で入学した私ですが、大学には第2の人生を再スタートするに十分で豊饒な「出会い」があることをお伝えできればと思います。

研究テーマとの出会い

 私は地質技術者だった社会人経験を活かせるのではないかという漠然とした想いから、入学当初、考古学を専攻とすることを念頭に、授業やゼミや野外実習を履修していました。そんな中、1年次の夏休み課題として選んだ図書に含まれる中世絵巻『一遍聖絵』の挿絵に衝撃を受けたのです。それは、入滅した師を追って入水自殺しようとする人とそれを押しとどめようとする人を描く緊迫した場面でした。しばらくして、美術史ゼミで先生の手許に届いたばかりの『一遍聖絵』解釈の最新本をお借りしたのをきっかけに、『一遍聖絵』の世界に魅了され、今では卒論テーマとして研究を進めることになりました。こうして夢中になれるものに出会えたのは、先生の後押しがあったことはもちろんですが、歴史学コース以外に用意された様々な分野の授業を好奇心のままに受講しアンテナを広げていたおかげではないかと思います。

人との出会い

 大学では先生、社会人の仲間や先輩、若い同級生との出会いがあります。歴史学コースは卒業までに124単位の取得が必要で、社会人入学者は過去の単位を認定してもらうのが通例ですが、私の場合は「大学生活をもう一度楽しむ」という目的もあり、単位認定なしで臨みました。不安いっぱいで入学した私が、まず助けられたのが社会人の先輩との出会いです。履修登録、図書館や生協など学内施設やインターネットの利用方法、先生の授業情報など、学生生活を円滑に送ることができているのも先輩のおかげですし、それぞれの分野で社会経験を持つ方々との会話は新鮮でした。若い学生の中で孤立しがちな社会人が、元気に大学生活を送れるのは同じ境遇の仲間に出会えたからだと思います。

 1年次の必修科目では、若い同級生に混じりスポーツ、英語、第2外国語を履修しました。彼ら彼女らとの授業での会話と議論、課外交流やスマホでの情報交換は、社会人生活の中では経験できないものです。また、頻繁に実施される試験やレポート課題は、評価され点数が付けられることに長く接していなかったので、プレッシャーでもあり刺激的でもあります。2年次以降は専門科目が増え、いよいよ卒論に向けた準備が始まります。同じ研究領域で同じ目的に向かうゼミ仲間からの指摘は、独善に陥りがちな研究姿勢を見直すきっかけをもらえます。

 芥川龍之介が「運命は偶然よりも必然である」と述べているように、自分が求め手に入れた必然の「出会い」を楽しみながら学生生活を過ごしています。

 これから社会人入試を目指す方々が、学問や人とのかけがえのない「出会い」に加え、遠い過去のものになってしまった胸がわくわくするような感覚に再び出会えますように。

歴史学コース2年 Mさん(2019年入学)

 60才の定年を目前にした50代終盤、転勤の多い仕事でしたが自分なりに働き、子供を育て、老後のことを真剣に考え始めていた頃のことです。会社の同僚の多くは定年再雇用によりしばらく継続して働く道を選んでいましたが、私の場合、身の回りで「彼が」「彼も」というくらい続けて親しい同僚や友人を病気で失うということがありました。一度の人生好きなことをやってみたいという思いで、高校時代所属していた「歴史クラブ」の課外活動の頃から関心のあった歴史学の勉強を思い立ちました。

 ネットで検索すると都内の多くの大学が社会人を対象にした聴講制度を開講しています。近隣では千葉大学の文学部が科目等履修生の制度で一般人を受入れていることがわかりました。研究テーマは「近世の農村社会」と決めていたので、定年退職後、初めの年は千葉大学の科目等履修生として近世史の講義、および佐倉市にある国立歴史民俗博物館が一般向けに開講している古文書講座を合わせて受講することにしました。勉強を進めるうち、古文書の読解は座学だけでは不十分で演習が必要なことをさとり、千葉大学文学部歴史学コースで11月中旬に実施される「社会人入試」を受験する決心を固めました。

 後から述べますが、この際、学内の「社会人会」の学生の方々から様々な励ましのアドバイスをいただきました。折しも社会では、リカレント教育と言って就業を前提としたキャリアパスの一環として社会人の再教育が話題になっています。私の場合、自己実現とこれからの豊かな人生のためであって「社会人入試」の趣旨に反するのではないかと心配しました。けれども「社会人会」の皆さんの姿を見て不安は払拭されました。学ぶ意志が大事だと。

 受験の準備は、先ず学務室にお邪魔して3年分の過去問を筆記させてもらい、論文対策の参考書を購入し論述のポイントを確認、高校の日本史と世界史の教科書を一通り通読しました。また新聞や一般雑誌に載る書評など歴史学の関連記事をできる限り読んで、簡単な要約と論点をノートに整理するようにしました。苦労もありましたが、「好きなこと」は我慢に耐えられるもので、こうして12月中旬、何とか若干名の募集に滑り込んで「社会人入試」に合格することができました。

 文学部のカリキュラムは、コアと言われる普遍教育科目(教養科目)や文学部の共通基礎科目、専門科目などの基本単位を取得すれば、別途他学部の単位を取得することも許されています。理系学部の単位の取得も可能なことなど、総合大学の強みを生かして幅広い学習ができることが特徴です。勿論、過去に取得した他大学の単位も認定を受ければ単位として算入されますが、私は学務室の方のアドバイスもあって、体育科目や語学科目を履修してみました。体育ではソフトバレーを選択しましたが、若い同級生とチームを組んで総当たりのリーグ戦を戦ったことは本当に楽しい思い出となりました。また千葉大学独自開発のTOEICテスト対策のプログラムを受講しました。極めて実践的でさびついた英語力のブラッシュアップができ感謝しています。

 文学部では、1年生から卒業論文執筆に直結する専門必修科目が設定されているのも一つの特徴です。歴史学コースでは、小クラスに分かれてE.H.カーの『歴史とは何か』の精読と討論があります。若い同級生を知る機会でもあり積極的に議論に参加しました。この時のカーの名言「歴史とは現在と過去の対話である」は、その後幾度となく学びの場面に登場し、その度にこの必修科目のことを思い出します。研究テーマに関わる近世文書の読解も、初めは「変体仮名」のバラエティの多さに苦労しましたが、最近はくずし字辞典を使うことにも慣れ、量を読むことで次第に自信がついてきています。こうして指導教官の下で通年開講される演習により段階的にテーマの掘り下げができるのも歴史学コースの魅力であると思います。

 冒頭で「社会人会」を紹介しました。文学部の現役社会人学生を中心に他学部の社会人学生、OB、OGにより、例年2、3度懇親会を開催する他、折にふれ参集可能なメンバーで昼食時に情報交換を行っています。履修の悩みについては、あらゆるアドバイスを受けることができ、同世代の方も多く学生生活を送る上で役に立っています。是非仲間になって下さい。

 さて、世の中を覆う「コロナ禍」は未だ先が見えません。災禍は弱い部分を照射し、大学の講義もいやおうなしにメディア授業となり、ここに来て対面授業との差異・得失が浮き彫りになって、学びの実効性が担保されているかが問われています。半年間は面食らいました。しかし、これからは教職員の方々と学生双方の知恵と工夫でこの困難を乗り越え、学びの場を維持しなければなりません。万人が脅威に晒されるような厄難は、必ず時代の変化をもたらします。つらいこともありますが、歴史を学ぶ者として、この時代の変化を冷静にしっかり観察し受けとめようと思います。

 「コロナに負けるな!」進学を希望される社会人の方に、こんな時だからこそ自分の将来に目を向け目標をもってチャレンジするようエールを送ります。

史学科(現:歴史学コース)2年 Fさん(2011年入学)

 定年までは会社勤めすることを漠然と考えていましたが、規模拡大を目指した同業他社との合併により、定年を3年残し早期退職することになりました。働くことも考えたのですが、自分に投資するのも良いのではと考え、医薬翻訳者養成コースを受講したり、宅建の資格試験のための勉強をしたりしていました。そんな折り、出身大学から社会人を対象としたオープンスクールの講座案内が郵送されてきました。「信長公記を読む」という歴史講座に目が止まり、講座を受講してみようかと思い立ちました。いざ受講してみると、35年ぶりの講義は、学生時代に戻ったようで新鮮でした。角川文庫版の『信長公記』を教材にした講義でした。ある時講師から、大学の図書館に作者の自筆本のコピーがあることを教えて頂き、早速、それを見に行ってみました。他人が読むことを前提に書いたものなので、字体はそれほど崩れてはいませんが、当時の私には容易に読めるものではありませんでした。何とかこの原文を読めるようになってみたいという思いが強くなり、次ぎに崩し字の読解を学ぶために「古文書入門講座」を受講することにしました。講師からは、古文書の崩し字を読むためには、その様式を理解する必要があることを指摘されました。単に崩し字を読めるようになっても、その背景を理解できていなければ意味がないとの思いが強くなり、日本史を多角的に勉強してみたいと考え、千葉大史学科を受験するに至りました。

 2011年春に幸いにも史学科に入学することができました。1993年に薬学部で学位を取得した経緯があり、千葉大とは何か縁があるようです。入学後、語学と昔の一般教養に相当する教養展開科目の履修は免除となり、一日に2から3科目を受講するという一般学生に比べれば楽な受講状況でした。この程度が集中力を保てる限度で、自分にとってはほどよいペースでした。早速、近世の地方文書を輪読する「文書学基礎演習」を受講しました。担当の先生からは、配布された文書コピーには書き込みをせずに、それを見ながら毎回声を出して復習することが上達の近道であると教えられました。復習とは言え、前の週の古文書をスラスラ読むには、かなりの時間を要しました。そうした努力を積み重ねることで、近世文書特有の言い回しが自然とわかるようになっていきました。前期の講義が終わる頃になると、以前は難しいと思っていた『信長記』の自筆本を、多少は読めるようになっていました。

 順調な学生生活をスタートさせたのですが、後期授業の開始後すぐに父親の介護をすることとなり、やむなく休学することになりました。結局、復学したのは一年後の2012年秋でした。休学中に勉強していなかったことがたたり、後期の「文書学基礎演習」では同級生の実力の向上に目をみはる思いでした。2013年に近世史の担当教員の先生が定年退官され、新任の先生のもとで再び「文書学基礎演習」を受講しています。近世の版本を教材に変体仮名を読めるようになろうということで一年生にまじって汗を流しています。

 会社人生でも、千葉大での学生生活でも予期せぬことが色々起きました。そもそも理系の出身であった自分が、得意でもない古文や漢文の知識が必要とされる古文書に興味を持ったことこそ、ハプニングでした。会社では、常に新しい知識・情報が必要とされ、後ろを振り返るゆとりはありませんでした。そうであったからこそ、人生の終盤で一息つき、先祖達が残していってくれた記録を読んで、歩んできた道を見つめてみたいと考えるようになったのだと思います。

 千葉大史学科の社会人入学制度は、社会人はもとより一般学生にとっても魅力的な制度だと思います。世代を超えた人たち同士が一緒に学ぶ機会は、そうあるものではありません。人生の先輩として、少しでも若い人たちに刺激を与えられる存在でありたいと思うとともに、若い人たちからも刺激を受け自分の成長の糧にしたいと思いながら、学生生活を送っております。

史学科(現:歴史学コース)3年 Iさん

約40年のサラリーマン生活を過ごして2005年3月末に退職しました。その時は65歳まで働こうと思っており、周囲から広州・上海・成都等勤務の話がありました。しかし、条件が噛合わず、暫く静観しようと思っていた8月末のある日、良く利用している千葉市立中央図書館に併設の生涯学習センターで千葉大文学部史学科では28歳以上の社会人学生若干名を募集している事を知りました。早速、文学部の学務グループへ願書を入手がてら、私の様な60歳以上も受験しても良いかと若干名とは4-5名でしょうかと問い合わせた。その答えは60歳以上の方も居られますので是非受験してください、若干名とは若干名で3名の時のもあればゼロの時もありますと。係りの人にゼロもあると受験者は不安になり具体的な数字を書いた方が親切だと私は言った記憶があります。(何故だか2007年度入学生募集には2名となっていました。)ゼロの時は不運と割り切り受験に必要な書類や過去の出題問題を集め十一月の試験に臨みました。幸運にも合格でき、自分なりに千葉大での4年間の過ごし方を決心しました。(A)元気な内はいつも前向きな精神で、「50~60洟垂れの子僧」をモットーに(B)今までの生活パターンをくずさない。(毎朝6キロのウォーキング、休日のテニス、最低月1回の登山)(C)従来からの国際交流を千葉大でも積極的に参加する。(D)貪欲に取得単位に係わらず受講し無欠席、無遅刻。(E)学生生活を人一倍愉しむこと。 以上を心がけ本日まできました。こんな事を書くと堅物だと思われますが、いつも忘れ物をする“おっちょこちょい”です。

入学前は何歳になっても不安な気持ちがありましたが、「千葉大学社会人の会」があり、「新入生歓迎会」に参加して不安なんか吹っ飛びました。メンバーはいろんな人生経験豊な方々で自分もこのメンバーの一員になれたのだと誇りに思えてきました。

一年前期に欲張って1週間に20コマの授業を受講し7月の期末テストとレポート提出が重なりシンドイ思いが懐かしく思えてきます。1年後期から中国史を主専攻に考え東アジア古典演習と言う科目を受講しました。ここで漢籍を学習する為に大漢和辞典と出典調べに毎晩のように図書館で悪戦苦闘の日々が続きますが、巧く見つかると幼稚園児のように嬉しくなります。2年生から将来中国で若い人に日本語と中国語で現代日本を教えられたらと思い教職課程の授業を受講しました。愛知県の母校での教育実習を断られ心当たりの学校にも断われた時に、日本中世史のS先生のご尽力で2009年6月に東葛飾地区の市立高校での実施が決まりほっとと同時に、気持ちを引き締め頑張る決意をしています。

学校には一般社会と違い、損得や利害関係がないと勝手に理解し積極的に発言し、いつも勇み足をしていますが、マイノリティーの為か大目に見て頂いています。学習では中国史のYゼミ、日本中世史のSゼミと東アジア思想史のCゼミに愉しんで出席しています。

 Sゼミでは春休み・夏休みに「山形・宮城」、「吉野・奈良」「足利・日光・喜連川」、「天理・高野山」など、普段行きたくても中々行けない歴史の有る処へ連れって頂き、2009年3月の「新潟・佐渡」旅行が待遠しいです。文学部および人文社会の院生を含めると多分100名位の留学生が在籍しています。私は留学生の生活をサポートするチューターを1年生後期から続けており、一緒に食事しながら会話をし、千葉市内外の公共施設・公園・観光地所へ出かけ、日本を直接肌で感じて貰えるように心がけています。私費留学生たちは学業とアルバイトの厳しい毎日ですが、「文学部留学生歓迎会」や春休みと夏休みの「文学部バス旅行」は彼らにとって一生の思い出となり私も一緒に参加できる幸せを感じています。

 千葉大史学科は学界で超一流の先生方に恵まれており多様な分野の歴史を学ぶ事ができ、又新しい友人にめぐり合うチャンスがあります。皆さんも我々の仲間になりませんか!

 最後に学生活を過ごすにはご自身の健康とご家族の健康がきわめて重要です。この点、私は妻に感謝の日々です。

社会人入学体験記:留学する62歳の社会人入学者 史学科(現:歴史学コース)4年 Fさん

 35年ものサラリーマン生活、海外駐在も含め、幾多の異文化体験をし、時には、歴史の転機になるような出来事にも遭遇した。しかし、「会社人間」として先が見え、「人生80年」時代、自分にふさわしい、充実した「第二の人生」をどう生きようかと模索した時、インターネットを通じて千葉大学の「社会人受け入れ」制度に偶然出会いました。定年まで数年残していたが、思い立ったら行動しないと気がすまない。早速、社会人入試の「過去問題」を大学の教務課窓口で入手し、急仕上げの入試対策もし、準備して臨んだはずの小論文も満足に書けず、面接では、ひたすら若い学生と一緒に学びたいとの入学の希望を目一杯訴え、運良く、入学を許された。天にも昇るほど嬉しかった。

 千葉大学文学部史学科のスタッフは日本史にはじまって、アメリカ・ヨーロッパ・中東・トルコ・東南アジア・中国・韓国と地球規模での多士済済の研究陣を揃え、何を学んでも興味深い分野ばかりで、専門分野を絞り込むのに困るほどでした。入学時点では、ジャカルタ駐在時代に体験した「スハルト政権を打倒した民衆のエネルギー」に関心を持ち、1年次の「10枚レポート課題」には「スカルノ政権崩壊と共産主義」を取り上げました。しかし、外国語選択を韓国語にしていたこと、韓国の歴史学の授業で指導教員の情熱に魅せられたことで、日韓関係史を生涯教育の研究テーマにするに至りました。

 一方、2年生になって受講した「歴史学基礎演習」の授業では、フランス史専門の教員から、外国史をテーマにする場合はその当該外国語をマスターしなければ卒論にならないとの、やさしくも厳しい指導を受け、夏休みには韓国語原文史料と取っ組み合いしたりもしました。そして千葉大学交換留学制度を知り、千葉大学が提携関係にある韓国全州市の全北大学に、この8月より留学する予定です。千葉大学入学前には, 定年後の社会人入学生が留学できるとは夢にも思っていなかったので、旺盛な好奇心を持ちつつ、新たな希望を抱いているところです。

 勉学以外でも、望めば、いろいろなサークルもあり、私は「ゴルフ部」に入部しました。関東大学選手権にも選手として、ゴルフバックを担いで参加したことは楽しい思い出です。「新入生歓迎会」「学園祭」「春・夏合宿」「クリスマスパーティー」「追い出しコンパ」など、数多くの行事もあって、体育会系サークルといっても、そこは国立大学、入会・退会が自由で、緩やかな先輩・同僚・後輩の縦の人間関係も経験できます。文武両道の学生生活をエンジョイすることもできます。それらは自由なのです。

社会人入学制度も定着している千葉大学には、いろいろな人生経験の社会人が入学し、2004年に「千葉大学 社会人の会」が発足しました。現在OBも含め会員は総勢30余名、男女半々の会員が参加しています。「新入生歓迎会」「懇親会」「卒業生追い出しコンパ」など、社会人同士、お互いの個性を尊重しながら、親睦を深め、それぞれの研究分野の情報交換の場を作っています。特に入学直後の授業の取り方などは, 新しい入学者には何かとお役に立てることがあるのではないかと思います。

 人生は出会いです。尊敬できる指導教員にも巡り会えるし、社会人学生と無二の親友にもなることもできます。知的好奇心は永遠です。ユニークなキャリアが集い、自主と個性を尊重し、自由な発想を受け入れる千葉大学文学部史学科に是非どうぞ。

30代、史学科に学ぶ 2003年度入学 史学科(現:歴史学コース) Kさん

—はじまりは2001年9月11日

 こんな日が来るのではないかと薄々感じていた。テレビ画面の前に立ち、あの様な死へ「昇華」させるほどの想いを誰かに抱かせること、こんな光景を一方的に見させられていることに愕然とした。

 年少期に「競う」こと、そしてその武器となる「言葉」の存在に疑問を持つようになった。けれども9月11日に見たものは、そこにどれほど懐疑があっても、それがどれほどもどかしい作業であっても、言葉を諦めてはならない、ということを私に突きつけた。さらにそれは私自身の仕事上の問題を振り返らせ、すべての事象がどこかでつながっているように思わせた。人生も折り返し地点。命尽きる前に自分の疑問について考えるのも大事なことかもしれない。複雑なこの世界の形を知り長年の疑問を言葉にしてみるのはどうだろう。

 これが、私が文学部史学科に入ろうと考えた理由だった。

—「読むことと書くことが好きですか?」

 私の動機は突飛なものだったに違いない。働いていた職場自体は申し分なく、初めから是が非でもという訳ではなかった。しかし試験当日の面接で、ゆっくり問い掛け傾聴し、かつての私の転機となった数年前の論考の話にも応じてくださる先生方の懐の深さが、それを決心に変えてしまった。

 その後、幸いにも入学の許可をいただいたのだった。

—「『本当のこと』っていうのはないんですよ」

 さて、入学後私に課せられたことは、あらゆる思い込みを捨てることだった。正に仕事を辞めてまで大学にやって来たその思い込みの強さ、何か答えがあるに違いないというその考えこそが認識に障壁をもたらしてしまうのだった。某先生に上述のことを2年次から繰り返し御指摘いただき、自覚出来たのはようやく最近だ。

 また、社会から大学に戻り、元の帰属性から抜け出すのも容易なことではなかった。精神的にそこから抜け出し自分でものを考えようとしたとき初めて他者や様々な事象への積極的理解が始まった。

—「今の意見は半分当たっていて、あとの半分には幾つかの別の側面があります」

 歴史は現在が照射する過去だ。それを学ぶことは現在を学ぶことでもある。しかし史実からそこに潜む構造を浮き彫りにするためには、より多面的な視覚が求められる。同じ史実でも視座によってその意味は如何様にも変化するからだ。講義ではこのことが何度も示唆される。また多面的視覚は、正確で公正な言葉による認識を土台とした情報の上に成り立つ。出来る限り言葉を厳密に捉え、多くの情報を得る努力が必要だ。

 言葉と物事を理解し直すための私の質問にいつも丁寧に向き合ってくださる史学科や諸語学の先生方、先輩方、また共に歩む同級生、後輩の皆さんの存在に本当に心から感謝している。

—千葉大史学科で学ぶにあたって

 ここでは歴史学を学び通すため、難関を越え誰もが大変な研鑽を重ねている姿を目の当たりにする。したがってそれ相応の心構えが要ることだけはお知らせしておきたい。学びは自分があまりにも小さな存在であることを知るきっかけとなる。けれども、それが多様な事象を理解するための出発点なのかもしれない。重要なのはものの見方。私はここで得たものの見方をずっと大切にしたい。そして言葉は武器ではなく、見えなかったものを照らす光として使えるように。

'15 史学科(現:歴史学コース)4年 Kさん

 私立の大学(経済学専攻)を卒業後、銀行員、その後物流企業の一員として働き、65歳をもって職業人生を終えました。この間、銀行業務に加え、2年間の海外留学、企業再建、企業買収、コンプライアンス体制の整備、海外出張約30ケ国など、様々な経験を通じて自己実現できたのではないかと思っています。65歳以後の長い人生の中での自己実現の方法については、60歳頃から、大学に入り直して勉強をしたいと思うようになっていました。もともと私のかつての遠い昔の勉強の目的は、就職に有利な条件を得るためにという極めて学問の精神からはほど遠いものでした。ということで、純粋に学問をしたいと思い、かつて千葉大学文学部史学科を社会人として卒業した友人の紹介もあり、史学科を受験しようと思い立ちました。長い間勉強から遠ざかっていたことや、文学部という未知の分野ということもあり、友人から史学科の先生を紹介していただき、事前に相談をする機会を得ることができました。先生からはいろいろと助言をいただくことができましたが、特に「3年次編入」を勧められました。「3年次編入」については全く考えていなかったので、調べてみたところ試験は300字詰原稿用紙30枚程度の小論文の提出と面接であることがわかりました。

 10月に入試の願書とともに明治以降の「瀬戸内の塩業史」をテーマとする小論文を提出し、その後面接試験が行われました。論文作成に当たっては、広島県内の図書館を訪れて史資料を集めたり自分なりに努力しました。面接試験では論文に「論点」がみられないという致命的な欠陥の指摘があり、落ち込んで合格をあきらめていました。しかし、12月の合格発表に運よく自分の受験番号を見つけることができました。面接での厳しい指摘により論文作成の難しさを思い知らされたことを感謝し、その後は塩業史関連文献や論文、先生からアドバイスいただいた参考文献を読み込んで、新学期を迎えました。

 入学に際しては、かつての大学での履修単位を中心に上限の60単位を認定していただくことができ、入学後の履修負担を少し軽くすることができました。史学科では卒業論文を重視しており、4年次では卒論に集中するため、3年次でできるだけ単位を取得しておくことにしました。3年次では25科目(50単位)を受講し、このうち、演習を7科目受講しました。また、演習以外の講座も学生数が10名前後のものもあって内容が濃く演習と変わらないものもあり、土日も予習やレジュメ作成などでつぶれるというかなり忙しい学生生活となりました。各講座の内容も先生方の熱意がひしひしと伝わり大変魅力的なものでした。

 史学科の授業の特徴をあげるとすれば、少人数授業が多く、密度の高い授業、先生と学生との距離が大変近いという点と、卒業論文重視のカリキュラム編成というものでした。また、文献を読ませる、レジュメやレポートを作成させるとともに、徹底した歴史認識教育が行われています。具体的には文献や過去の研究成果を「批判的」に読む、疑問を持つ、疑問点や問題点について調べ自分で様々な事実を確かめる、自分の考えで歴史を文章にまとめる、それを皆の前で発表する、そしてディスカッションが行われる、というものです。特に「批判的」にという点は大変新鮮に感じました。卒業論文についても、1年次以降段階を踏んだきめ細かな指導が行われています。3年次後期には「卒業論文構想発表会」、4年次前期には「卒業論文準備報告会」が用意されています。構想発表会や準備報告会での各発表者の持ち時間は大変短いのですが、各演習では事前に時間をかけて内容についての指導が行われています。先生方の指導もきめ細かくしかも求めるレベルも学生に妥協しないという姿勢に感激しています。

 このような授業等を通じて、私の学問についての認識は大きく変わることとなりました。即ち、私が若い頃学んだ定説がその後の研究によって覆されていることや、全く新しい学説が生まれていることに驚かされました。多くの研究者のたゆまぬ努力の積み重ねのうえに、現在の歴史認識が生まれているのだということを知ることとなりました。私の卒業論文作成にあたっても、できる限り多くの先行研究を読むとともに、史資料を収集し、近視眼的になることを避けつつ、一歩一歩着実にまとめていこうと思っています。疑問や壁にぶち当たったときには、まず新たな文献や史資料を探して調べ、それでも道筋が見えないときは勇気を出して先生方の指導を仰いでいます。これまでも史学科の先生のみならず、他学部の先生方からも懇切丁寧な助言をいただいています。また、文献の著者や博物館の学芸員にも連絡のうえ指導をお願いしたところ、貴重な助言を直接いただくことができています。研究テーマに一歩一歩踏み込んでいくたびに、あらたな発見があり、研究の面白さがわかり始めています。

 授業以外では、千葉大学社会人会があります。学部生だけではなく、院生やOBも含め、年に数回集まっては酒を囲んで情報交換と懇親を深めています。また、大学から紹介されたものに、千葉県内であらたに発見された古文書の調査分類作業を中心として活動をしている「房総史料調査会」という団体があります。他大学の先生方や学生達とともに年に数回現場で共同作業を行っており、同じゼミの仲間とともに活動に参加し、勉強になるとともに大きな刺激を受けています。

 これまでの大学でのさまざまな経験を通じ、今後の長い人生の中における自己実現のための入り口にようやくたどり着いたような気がしています。

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